王様は裸だと言った子供はその後どうなったか-森 達也
- 森 達也
- | トラックバック(1)
- | コメント(2)
王様は裸だと言った子供はその後どうなったか (集英社新書 405B) (2007/08) 森 達也 商品詳細を見る |
「王様は裸だと言った子供はその後どうなったか」を、作者の想像で書いた表題作を初め、古今東西様々な物語を使って、現代日本を痛烈に皮肉ったパロディ集です。
例えば、「桃太郎」
桃太郎を現在の、正義を愛する崇高なジャーナリストにしたてて、その桃太郎が鬼が島で平和に暮らす鬼達を偏った見かたでルポルタージュします。
桃太郎は、鬼が島の近くに住む住人へのインタビューは誘導した不安げな言葉だけを使い、びっくりして逃げる鬼の子どもを「疚しいことがあるから逃げるのだ」と撮りながら追い掛け回し、それをみて怒った大人の鬼を沿岸警備隊に捕まえさせ、これらを都合の良いように編集し全国ネットで流すことで鬼達を退治します
読者や視聴者に与えられる情報は、徹頭徹尾、書き手や撮り手が感知したその場の状況の主観的な再現でしかない。(中略)
表現行為であるかぎり、ノンフィクションなどありえない。すべての表現は作者の主観が織りなすフィクションだ。ただし、ジャーナリズムは少しだけ違うと僕は考える。もちろん人の感覚が介在するのだから主観からは絶対に逃れられない。その現実は認知しつつも、出来る限り中立点を模索して、(到達などは決してできないが)、正確で客観的な情報伝達への意欲と努力だけは失わずにいるべきだ。でもそもそもは主観。この原則に無自覚なったとき、ジャーナリズムは大きな間違いを起こす。絶対的な公正を体現してしかも中立であるとの錯覚から、自らは正義であり、報道することによって悪への懲罰を与えるのだと思いこむ。
作者は自分のことを、『王様は裸だと言った子供』のように場の空気を読めない鈍い人間だと言っています。
放送業界では禁忌に近いテーマばかりやっているように見えるが、それは使命感でも勇気でもなく、やってはいけないんだという暗黙の了解に気づかず、うっかりしてしまうのだと。
しかし、逆に場の空気を読める私達はジャーナリズムの「正義」と「編集された事実」に流され、おかしな言動をつづけています、亀田兄弟や沢尻エリカの時も。まるで、裸の王様を見て「素晴らしい服だ!」と感嘆するかのように。
作者はおかしなものに流されず、ニュートラルな状態で物事みることが出来る人間なのだと思います。
これが出来る日本人はほとんど居ないのではないでしょうか?
とっても生き辛そうですが。
スポンサーサイト
押していただけると、とっても嬉しいです
- [2007/11/20 11:00]
- 森 達也 |
- トラックバック(1) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
コメント
こんばんは。
「桃太郎」、考えさせられますよね。
ジャーナリズムを掲げながら、最近のマスコミ(特にテレビ)の程度の低さは何なんだ、と言いたくなります。
もっと他に伝えることがあると思うのですが。
こちらからもTBさせていただきますね。
コメント&TBありがとうございます♪
ぐらさん、こんばんは!
「桃太郎」まるっと書き過ぎ!と思いましたが、最近特に抵抗のある話題だったので、ズラズラ書いてしまいました。
昔からワイドショーとか苦手でしたが、最近はニュースも苦手になってきました。
食品偽装問題とか、不安になるよう強制されてるみたいで・・・
今楽しみに毎日見てるテレビは「今日のわんこ」ぐらいですよ(笑)
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://arazomef4987d.blog118.fc2.com/tb.php/62-faf2fa82
『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』 森達也
そういえば、どうなったのだろう?このタイトルを見てそんな疑問が頭をよぎった人は、読むべし。 本書は、「桃太郎」といった民話からイソップ童話、「仮面ライダー」まで、古...
- | HOME |
コメントの投稿